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2007年以降 2006年以前

 

2006年 12月31日 

マンハッタンのカウントダウン。カウントダウンの瞬間は、ジョン・レノンのイマジンが流れる。ジョンの詩が、人類の一体感を感じさせてくれた。けど、その後は祭りの後。路上はゴミだらけ、街は閑散、気分は何だかむなしい。


2006年 4月頃

どこに暮らしても同じことだと思うけど、仕事だったり学校だったり自分の行動範囲しか行かないものです。ニューヨークに住んで初めてニューヨーク観光っぽいことをしてみた。フェリーに乗って自由の女神を観に行った。

 

2006年 2月頃

ジャクソンハイツのアパートが、バスルームの水漏れにより部屋中水浸しになり住めなくなった。1ヶ月程宿無しになり友人宅に居候し、マンハッタンのハーレムに引っ越す。隣の駅はヤンキースタジアム。以前に増してさらに治安の悪い所に引っ越すことに・・。アパートの前で売人が検挙されていたこともあったし、駅に血だらけの人が佇んでいたり、ヤク中が裸で路上に転がっていたり・・。しかし住めば都で、コロンビア人女性のルームメートもとてもナイスだったし、今思うと、アメリカ生活の中でハーレムが一番好きかもしれない。
コインランドリーに洗濯しに行くとき、待ち時間でアパートの向かいにあるカフェでよく独りでお茶した。リーズナブルなコーヒーは総じてまずい事が多いけど、ここは美味かったな。

 

2005年 12月8日

ジョン・レノン25回目の命日。セントラルパーク、ストロベリーフィールズにて。ジョンの追悼集会は04、05、06年と行ったけど、この年は25年目の区切りの年だけあって、世界中からジョン好き、ビートルズ好き、平和主義者、ビート、ヒッピー等々が集まってた、と思う。人が多すぎてストロベリーフィールズのモニュメントの周りは長居できず、おまわりさんに交通誘導される。

 

MOMA

年会員になっていたからいつでも行けた。トイレ借りたり、中庭でボッーとしたり、本読んだりと、そんな事にも利用していた。

2005年 9月頃

この頃、ニューヨーク、クイーンズのジャクソンハイツに引っ越した。ラザフォードの中産階級ののどかな雰囲気から逆転、落書きだらけ犯罪も多い、ジャクソンハイツに住むことになった。ルームメートは日本人、中国人親子、米国人ニート等々、6〜8人という環境だった。ここでよく見た光景は、キッチンで、中国人親子の食材の肉にゴキブリがたかっていた事・・。

 

2004年 某月

アメリカ生活の初期に住んでたニュージャージー、ラザフォードの町並み。道路が空いていればバスで1時間くらいでマンハッタンに出られる。韓国系移民も多く、治安も良くて暮らしやすい町だった。

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